残念な日本語を現行犯逮捕する

ビジネス文書は、正確に、論理的に、そして美しくありたいもの。一部上場大手企業における管理職経験14年、入試問題の文章推敲経験9年、卒業論文の添削経験18年、ヒューマン・ センタード・デザインや感情心理にも精通した筆者が、気になる日本語を斬ります。

科学的根拠に基づく予測を「想定」と言う珍常識

「想定される各地の津波高さ」

「想定される各地の津波高さ」出典:讀賣新聞2020年4月22日付

 

 日本海溝・千島海溝で起きる巨大地震の予測結果を内閣府有識者検討会が4月21日に公表したことを、報道各社が一斉に報じました。たとえば、讀賣新聞は「日本海溝・千島海溝でのM9級地震想定」という見出しを掲げています。日経新聞は「東北から北海道の太平洋沖に延びる日本海溝・千島海溝でマグニチュード9級の巨大地震が起きるとの想定を、内閣府の検討会が公表した」と書いています。

 防災計画のために、科学的な根拠に基づいて地震などの自然災害の規模を予測することを「想定」と表現する報道が最近増えています。と言うより、ほとんど「想定」と表現しています。

 「想定」とは、「ある一定の状況や条件を仮に想い描くこと」(広辞苑)、「ある状況・条件などを仮に考えてみること」(明鏡国語辞典)です。「仮に」なので、「去年の避難訓練地震を想定して行ったから、今年は火災の想定でやろう」というように、「想定」は恣意的に決めることができます。恣意的に決める「想定」に、確からしさという概念はありません。根拠も必要ありません。

 一方、上記検討会が導き出した「十勝・根室沖を震源とする巨大地震の最大規模はマグニチュード9.3」という結論は、何の根拠もなく「えい、やあ」で出てきたものではありません。過去の津波で陸に運ばれた堆積物という物証に基づくので、南海トラフ地震の予測より精度が高いと言います。今年の避難訓練に火災を想定することには必然性がなく、別に2年続けて地震を想定してもかまいませんが、「マグニチュード9.3」という数字には「9.3」でなければならない必然性があります。このような命題を「想定」と表現してはいけません。「推測」「予測」が適切です。